荒涼とした心象風景

ボクシングのWBC元ライト級チャンピオンのエドウィン・バレロが、妻を殺害した容疑で逮捕されました。状況や本人の自白から、彼の犯行であることはほぼ間違いないようです。

漫画『はじめの一歩』で、鷹村は初めての世界タイトルマッチに臨むにあたって、鴨川会長に大略次のように言います。「リングの上で闘っている時、本当に生きていると実感できる。それは言い換えれば、ボクシングに生かされているということだ。そのボクシングに嘘はつきたくない」と。

バレロは、自分を育ててくれたボクシングを裏切りました。27戦27勝(27KO)という戦績も、その輝きをなくしました。

ボクサーは、常に“ボクサーではない人”以上に己を厳しく律しなければいけません。亀田のパフォーマンスに嫌悪感を持っていた多くのボクシングファンは、そのマーケティングありきの売り出し方を不愉快に思っていただけでなく、ボクサーが、常に「所詮ボクシングをやるような奴は……」という偏見が隠された視線に晒されていることを知っているがために、一連の言動を苦々しく見ていたのだと思います。その象徴が“袴田事件”です。

世界チャンピオンになるほどに自分を律することができた人間が、実生活の大切なパートナーを殺害する。ボクシングは選手の内面的成長に何ら寄与しないのでしょうか。ボクシングの技術が向上すること、言い換えればボクサーとして強くなることは、人間的強さとは無関係なのでしょうか。

それを個人の資質として片付けることは容易です。しかし、それでは、私が拙いながらも懸命に流している汗は何だというのでしょうか。練習の中で感じる手応え、喜びや悔しさは何だというのでしょうか。

ボクシングは素晴らしい競技です。そんな当たり前のことをあらためて書かなければいけないほど、私にとってこの事件の衝撃は大きいものです。