私的・船戸与一論補遺

この世の無機質さを思い知らされた香坂の、人としての慟哭がなぜ聞こえないのか。

死に行く隠岐の胸中に響く、魂の叫びがなぜ聞こえないのか。


有名な絵画に、ムンク「叫び」という作品がある。一見、描かれた人物が叫んでいるようだが、実は逆で、世界の叫びに慄いている姿を描いているという。

あの絵のように世界が歪んでいるのなら、そして、その世界が正常だというのなら、相対的に、真っ直ぐな人間は歪んでいるとされてしまうだろう。

世間という借り物の尺度を捨て、自分自身の目で世界を“視る”ことを選んだ香坂。誰が何と言おうと、私にとって『猛き箱舟』はビルドゥングス・ロマンだ。