大晦日格闘技雑感

作り手にビジョンが無ければ、観る側は戸惑うばかり。昨年の大晦日、恒例の格闘技イベントは選手も含めての人材不足が際立ったものでした。

選手及び試合で印象に残ったのは、吉田秀彦の眼光の鋭さのみ。吉田は石井慧との対戦について、「心中に期するものがある」と引退も視野に入れた発言をしました。そして、テレビ中継の解説者は、「拳を交えることで伝えようとしているものがある」ということを言っていました。この一連の物語性は、吉田が見下しているプロレスのそれです。このパラドックスを吉田は理解しているでしょうか? そして他の格闘家たちは?

青木真也は以前から好きではない選手でしたが、今回のやり口にそれ以上の嫌悪感を持ちました。「興奮し過ぎて、試合後に侮辱的な態度を取ってしまった」選手が、“冷静に”尚且つ“明確な意思を持って”対戦相手の腕を折る(肩を脱臼させる)ことの不自然さ、胡散臭さ。

DREAM創設初期から大黒柱を自任し、視聴率にも言及していた青木ですが、この試合が今後の格闘技界に寄与する価値のあるものになったと胸を張って言えないでしょう。試合後に肩の骨を脱臼して蹲る対戦相手に中指を突き立て、観客に同様の行為をした青木を見て、私は「ああ、ブロック・レスナーの真似をしたかったんだな」とうんざりしました。風呂敷をマントに見立ててヒーローになった気分になる幼児と大差ありません。

科学技術(特に兵器)について、「技術の進歩に、使う人間の精神が追いついていない」と言われることがあります。私は、青木にその不毛を見ます。どんなに頑張っても、勝利を重ねても、観客の心に届かない、受け入れられない。青木の心の中の“何か”が切れてしまった音を聞いたようでした。

それにしても場当たり的な大会でした。異なるグループの対抗戦は、下地作りが必要です。記者会見で挑発的なコメントをした程度ではどうにもなりません。かつての新日本プロレスには大きな流れがありました。正規軍と維新軍の抗争然り。新日本とUWFイデオロギー闘争然り。新日本とUWFインターナショナルの東京ドーム決戦はその最たる例です。今回の対抗戦が今後の両団体にどうプラスに作用していくか、まったくイメージができません。そういえば、Uインターは対抗戦の後、それ以上のインパクトを観客に与えることができずに衰退、解散しました。

頑張っている。この言葉が免罪符にならない社会の厳しさを実感したイベントでした。