私的・船戸与一論 その壱

船戸与一は大略次のように書いた。

「冒険小説、国際謀略小説。何と呼ばれようと、自分は一貫してハードボイルドを書いてきた。」

では船戸の言う“ハードボイルド”とは何なのか?
すべての作家は処女作に帰るという。換言すれば処女作の中にその作家のすべてがあるということになる。

船戸の処女作は何か。『非合法員』ではない。それは豊浦志朗名義で書かれた『硬派と宿命』だ。「現代史と同伴する」という姿勢を持って書かれた作品群を眺めた時、名前が違う、小説とノンフィクションでジャンルが違うといった区別は意味が無い。

その『硬派と宿命』の序文は、今読むと、後の作家船戸与一の自らの創作の高らかな意思表示と読める。

「硬派とは何か。左右激突の現場に突如として登場してくるこちこちの行動至上主義者である。行動こそが万能だという神話の守護者である。硬派は常に状況の最前線で行動する。

硬派がその行動至上主義によって獲得しようとするものは何か。実をいうと、何もない。硬派の狙いは、行動の中に文学を描こうとしていることにある。

(硬派の行動至上主義は共同体の邪魔になり)硬派が行動の中で描こうとした文学は、みずからの死によってしか大団円を迎えることはできない。物語の結末には、悲劇的な死こそふさわしい。」

この硬派の概念こそ船戸作品の背骨であり、硬派の物語=ハードボイルドと位置づけられる。