今なお船戸与一③

船戸与一の反チャンドラー論が収められている『レイモンド・チャンドラー読本』をネットで購入しました。市営図書館に蔵書があって、読んだことはありましたが、やはり手元に置いておきたいというコレクターの血が騒ぎました。

まず何よりも、チャンドラーの魅力を語るべく編まれた本に批判的な評論が載せられていることに驚きます。

しかし、チャンドラーの愛読者に向けて批判的なものを書くのですから、その人たち以上に読み込み、言葉に説得力を持たせなくてはいけません。ただケチをつけるだけでは、たんに理解力がないだけと見做され、株を落とす破目になります。

大藪春彦が単独峰に例えられますが、この本の中で、船戸与一もまた孤独に雄々しく聳え立っています。

今なお船戸与一④

船戸与一豊浦志朗の名前で書いている「ハードボイルド試論、序の序―帝国主義下の小説形式について」が収められている『ミステリーの仕掛け』(大岡昇平編)を、これまたネットで購入しました。『レイモンド・チャンドラー読本』と同様に、市営図書館に蔵書があって、読んだことはありましたが、やはり手元に置いておきたいというコレクターの血が騒ぎました。

以前にも書きましたが、ハードボイルドの定義は作家の数だけあります。それは、作家の苗字をつけて○○ハードボイルドと表現することからも明らかです。

そのハードボイルドを、個人の趣味嗜好からではなく、歴史や時代背景から定義しようという試みは、この作家の誠実さの表れでしょう。

そのテキストになるのが、ダシール・ハメットの『血の収穫(赤い収穫)』です。

この後、船戸与一が『山猫の夏』を書くことになるのは、「ジャーロ」でのインタビューでは偶然の産物のように語っていますが、実は必然だったのだろうと思えます。

そして、船戸ハードボイルドは、この試論を裏切ることなくハードボイルドであり続けました。