残留孤児

日本と中国について考えるとき、わたしが思い浮かべるのは“残留孤児”の悲劇です。

人一人を育てることは大げさでなく一大事業です。自分の人生を賭ける覚悟がなくては決してできないことです。

「口減らし」という言葉があります。戦後の貧しい社会で、他人の子を、それも自分たちに非道をはたらいていた日本人の子供を引き取って育てることに葛藤がなかったはずがありません。

それでも手を差し伸べた人たちが抱いていたのは、親が子を大切に思う気持ちには日本人も中国人もないという人間の根本的な部分での共感ではなかったでしょうか。

どれほど政治家同士がいがみ合おうと、それがすべてではありません。

好事魔多し

不幸の種は絶頂時に蒔かれます。平坦な道ばかりではありません。上りきれば、下るのです。

中国で、(戦勝国として)戦後70年の記念式典が行われるのは至極もっともです。それ自体は否定しません。しかし、それが“軍事パレード”である必要はないと思います。

たとえば格闘技で、良い打撃を受けてしまった選手が「効いていないよ」とアピールすることがありますが、相手も観客も、効いているがゆえの態度と受け取ります。

それと同じです。軍事力をアピールするのは、それによって覆い隠したいこと、視線を逸らしたいことがあるからと思われても仕方ありません。

盛大であればあるほど、“その先”に不安を覚えます。