二重権力構造

戦後、日本は民主主義を標榜しながら、その実質は官僚がコントロールする社会主義の国だと云われてきました。

その中で政治家、特に総理大臣の“指導力”など個人の資質に関係なく端から無いものであり、その必要性を云々するのはナンセンスだとも。

安倍晋三首相と彼のシンパの鎧袖一触と云わんばかりの大行進に喝采を送る人たちと、それに警鐘を鳴らす人たちの意見が飛び交っています。

そこで、わたしは疑問に思います。過去の総理大臣は指導力など発揮しませんでした。持っていなかったのですから当然です。では、安倍氏が総理大臣になると同時に、その指導力が突然生まれたのでしょうか。

もしそうであるならば、安倍首相は過去のすべての総理大臣とは比べものにならない人としての器の持ち主ということになるのでしょうか。残念ながら、それは否でしょう。彼が特別な人物だとは思えません。

これまで、官僚が支配していると云われても、経済が右肩上がりに成長している間は誰も気に留めませんでした。自分たちの生活が豊かになるなら、誰が何をしていようと関係ありません。

しかし、その経済がダメになり、回復する見込みもなく停滞し始めると、そうは言っていられなくなりました。誰が悪い? この社会のデザインをしている連中だ。そうして官僚への不平不満が鬱積して民主党が政権与党になりました。

そして、いま。安倍首相だけが関心を集め、クローズアップされています。これって不自然ではありませんか?

自由民主党が与党の座に返り咲いたとき、官僚の存在の大きさと重要性が喧伝されました。それが聞かれなくなったばかりか、(批判的なことも含めて)話題にすら上らなくなりました。

日本の政治の宿痾「二重権力構造」が急に消え去ったとは思えません。

現在の日本の在り方に官僚が果たしている役割や影響を無視して一人の政治家にすべてを帰してしまう発想は危険です。

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