すぐそこにある危機

老人問題、と書いて、老人の存在=社会問題であることに暗澹たる気分になります。

漫画『ちびまるこちゃん』の初期のエピソード、年金をもらったおじいちゃんが得意満面で孫のまるちゃんにお寿司をごちそうしたり玩具を買ってやったりして財布が空っぽになってしまうという話があります。

それはもう過去のこと、昭和の昔の話になりました。三世代が同居し、老後は年金をもらって悠々自適。それはもはや夢物語です。

問題は、核家族化だけではありません。働いている現役世代の雇用の脆弱性による収入の不安定化です。

その状態を恒常化させるが如き政策や法律が描く未来は、どのようなものなのでしょうか。ずるいこともせず一生懸命に働いてきた結果が無残な老後では、若者に夢を抱けと説いても無駄でしょう。

なぜ老後の生活設計をして必要な額を貯えておかなかったのかという疑問はもっともですが、それは酷な質問でもあります。

そのときになって初めてわかるということがあります。いま困窮している人たちは、それをあらかじめ教え諭してくれる先輩がいませんでした。当然です。社会として初めての経験なのですから。

しかし、わたしたちは違います。それが目の前で現実に起こっていることを知っているのですから。知らないという人は、見えないふりをしているだけです。

船戸与一が言っていたように、後世の高みに立って批判するのは簡単です。貯える余裕がなかった人、貯えずに使ってしまった人に「貯えることの重要性を認識しなかったのが悪い。自己責任だ」と言い放つ人は、自分が高齢者になったとき、「国や自治体の財政状態が悪くて十分なサービスを行えないのは、節約を最優先にして消費をしなかったために経済のサイクルがきちんと回らなかったからで、経済的に縮こまっていたアナタの自己責任だ。なぜ公的機関という“他人”に頼ろうとするのか。得た収入を投資に回して運用するなりしていなかったアナタが悪い」と言われたら、どう返答するのでしょうか。

もちろん、これは暴論です。しかし、将来において何が当然のことになるかは誰にもわからないという点では同じです。

この本では、(とりあえずの)解決方法として生活保護が取り上げられています。しかし、その生活保護が財政を圧迫していることも事実です。その代わりの、あるいは「老後破産」に陥らないための予防のシステムの構築の必要性が言及されていますが、まだ「必要だと思う」だけで、具体的なアイディアは提案されていません。

ちょっと風邪をひいただけで「普段は気にもしない健康のありがたみを実感する」のが世の常。他人事ではなく、自分のこととして考えなくてはいけないことです。

老後破産:長寿という悪夢

老後破産:長寿という悪夢