言葉を発する

覆水盆に返らず。口にした言葉は、なかったことにできません。ましてや、売り言葉に買い言葉、勘違いに思い込みは日常茶飯事。ならば、何かを言うとき、もっと慎重に、謙虚に、臆病になるべきです。

そして、何よりも必要なのは“覚悟”です。では、その覚悟を支えるのは何でしょうか。

ここで、大藪春彦の『汚れた英雄』の中の言葉を引用します。

「勇気は技術だ。自己のテクニックに対する自信だ。」

積み重ねた研鑽のみを担保にして、覚悟を持つことができるのです。

私たちは、何かを語るとき、自分の意見を口にしているように思いながら、実は新聞やテレビ、雑誌にネットといったところで見聞きして「なるほど」と頷いたことをコピー&ペーストしているだけということはないでしょうか。

今度は、埴谷雄高の『死霊』の中の言葉です。そこで、著者は大略「他の生き物を体内に取り入れることによってのみ自分の身体を形作っているなら、『自分とは何かではなく、何を以って自分とするのか』と問うべき」と書いています。

そう考えたとき、言葉を発することは実は怖いことだと気づきます。

その「言葉を発すること」を商売にしているメディアの凋落は誰の目にも明らかです。それを、ステレオタイプに切ってみせるのではなく、言葉そのものを材に論じていて、とても面白く読みました。

街場のメディア論 (光文社新書)

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