犠牲

人は、自分一人で完結して生きていくことはできません。

身の回りにあるもので、自分で作り上げ、手にしたものなど皆無です。口にするもの、身につけるもの、すべて他人の手によるものばかりです。逆に、自分の労働が見知らぬ他人に具体的なモノや利便性を提供してもいて、すべては繋がり循環しています。

運の総量は決まっているという考え方があります。言い換えれば、幸運も不運も最終的にはプラスマイナスゼロになると。

では、わたしが何かを手に入れたとき、他人が(同量の)何かを失っているということでしょうか。ならば、ささやかな幸せを願うことは罪なのかもしれません。しかし、それを望まない人はいませんし、それを追求することを止めたら、人はただ呼吸しているだけのモノに堕してしまいます。

他人の犠牲をともなって手に入れられる幸せは、果たして魂の安寧をもたらしてくれるのでしょうか。

人間性を否定したパワーゲーム、スパイの世界で人間であろうとしたミロ・ウィーヴァ−。他人の悲しみすら引き受けて傷ついた彼が見る世界は、彼に微笑みかけるのでしょうか。

それは、立場や単位でしか他人を認識しない社会で生きている私たち自身のことでもあります。

ツーリストの帰還(上) (ハヤカワ文庫NV)

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