『沈黙のファイル』
副題に“「瀬島龍三」とは何だったのか”、とつく共同通信社社会部編のノンフィクションがあります。その新潮文庫版の解説に、船戸与一が一文を寄せています。以下、その後半部分を抜粋します。
“本書を読むかぎり、彼(瀬島龍三)の行動にはたとえば石原莞爾のような思想性を読み取ることができない。そこにあるのはプラグマチズムだけだ。わたしは平岡正明の名言を憶いだす。日本には転向の問題はかつて生じたことがない、転職の問題があるだけだ。瀬島龍三の人生はこの言葉を地で行くようである。
アジア諸国の二千万の死。日本人三百万の死。
これについて瀬島龍三の真摯な発言は聞かれない。要するに、この膨大な死者数については彼のこころに触れることがないのだろう。したがって責任の問題は脳裏に浮上して来ることもない。徹底したプラグマチストにとって数字はただの数字なのだ、それは次のステップのための予備知識に過ぎないだろう。
これは何も瀬島龍三の際立った特質というわけではない。いわば日本的選良の共通した意識なのだ。そして、日本的土壌はそれを易々と許容する。東京裁判のBC級戦犯は大概世を忍ぶように生きて来たのに、岸信介のようなA級戦犯は甦った。冷戦構造の深化によってかつての交戦国アメリカがそういう存在を必要としたのだ。かくて戦前と戦後にはどんなハンマーで叩いても壊れようのない橋が架けられたのである。
こういう戦争責任の真の所在が問われなかったという事実はその後の高度成長からバブル破綻という浮き沈みに携わった官僚たちや金融テクノクラートたちを甘やかし傲慢にする。彼らはどれほど酷い失敗をやらかそうと、責任を取ろうとは思いもしないのだ。どういう形でメディアから指弾されようと、失敗を失敗として認めようとはしない。この傾向は戦前から戦後へと繋がる現代史の産物なのであり、いまさらぶつぶつ言っても変わることはないだろう。あれほど激烈な人生を送って来た瀬島龍三の人格にさしたる変化が生じなかったように。”
鳩山由紀夫総理が辞意を表明した翌日に記します。
- 作者: 共同通信社社会部
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1999/07/28
- メディア: 文庫
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