私の好きな作家:三島由紀夫

三島由紀夫は自ら命を絶つに到る物語の印象が強く、作品を語る際にもその軛から逃れることができません。それを承知のうえで、私が最も好きな作品として挙げるのは『仮面の告白』でも『金閣寺』でも『憂国』でもなく、『春の雪』です。美しい日本語で紡がれた、美しい日本の、美しい物語。それが私にとっての『春の雪』です。

絢爛たる比喩に彩られた美しい文章は、作家の持って生まれた才能や感覚だけで書けるものではありません。そこにあるのは三島の作家としての強靭な意志であり、書かれた文章はその具現化に他なりません。

豊饒の海」の第一部として『春の雪』は“手弱女ぶり”を、第二部の『奔馬』は“益荒男ぶり”を描き、さすが三島由紀夫と思える作品でしたが、第三部の『暁の寺』は観念的教条的になって物語性が希薄になり、第四部の『天人五衰』はカタルシスを齎すこともなく荒涼とした世界を読者の眼前に突きつけて物語は終わります。

三島由紀夫には、十代の頃に文学仲間と連れ立って太宰治を訪ね、本人に向かって「私は太宰さんの文学が嫌いです」と言ったというエピソードがあります。その太宰もまた自殺しました。私は、三島の中に太宰に対する感情としてまずあったのは“共感”であり、ただ、対象に向かうアプローチの仕方が決定的に違ったために、それは“反発”という形で現れてしまったのだと思います。

太宰と重ね合わせ、その死に方の異様さに目を眩まされずにその本質を見た時、とても寂しい想像が頭を過ぎります。その時三島の目に映っていた日本は、もう美しい日本語で紡ぐに値しない国だったのかもしれません。

余談ですが、三島由紀夫が四十五歳で自ら命を絶ったのは、天才は若くして夭折するものであり、自分がそうならなずに年をとることに我慢できなかったという説があります。それもまた“意志の作家”らしいと頷けることです。