今なお船戸与一①
原籙のエッセイ集『ミステリオーソ』と『ハードボイルド』が、もともと『ミステリオーソ』として一冊だったものを二冊に分冊して文庫で発売されたとき、収録されている船戸与一との対談を立ち読みで済ませてしまったのは痛恨事でした。
その当時、原籙の作品を読んでおらず、他のエッセイに興味がなかったために購入を見送ったのです。
その後、原籙の作品を読み、興味を持ちましたが、時すでに遅し。この二冊は書店の棚から消えていました。
それを読みたいと思い立ち、ネットで検索。この対談が収録されている『ハードボイルド』ではなく、掲載されている(同時期に発売された)雑誌「エスクァイア 1995年9月号」で購入したのは天邪鬼。
そうして、あらためて読んでみると、チャンドラリアンと非チャンドラリアンという立場ながら、決して相手を批判せず、それでいて主張すべきことは主張して、互いに失礼ではない。
一流同士のやり取りです。
二人に共通するのは、ハメットであれチャンドラーであれ、きちんと読んで自らの血肉にしていることです。価値観が異なれば、表現も違って当たり前。そこに上も下も、良いも悪いもありません。
特に船戸与一は、反チャンドラーと言いながら、チャンドラーに向き合う真摯な姿勢には胸打たれます。
自らが書くものに自覚的である、この二人の作家は信頼に値します。
今なお船戸与一②
船戸与一が亡くなる直前のインタビュー記事が掲載されている、雑誌「ジャーロ No.53」を手に取りました。
まずページを開いて目に飛び込んでくるのは船戸与一の大きな顔写真。そこから目を離せません。透徹した視線を感じさせる、澄んだ眼。
インタビューに答える言葉の端々から、自らの命が残り少ないことを承知しているのがわかります。死を目前にして、人はこういう眼を持つことが出来るのか。
船戸与一は、評論「ハードボイルド詩論、序の序」のなかで、大略「ハードボイルド小説は作家のパワーが落ちたとき、文芸的な技術で凌ぐことが出来ないものなので、その衰弱は他のジャンルよりも悲惨だ」と書いています。
その死の直前まで、否、間際まで小説を、それも圧倒的な迫力と読み応えのある小説を書いていたという事実は、上記のパワーが落ちていなかった証拠です。
何という作家だったのかと、いまさらながらに感嘆しています。
とても良いインタビュー記事です。それは、船戸与一とともに、インタビュアーの井家上隆幸が良いからです。
二人とも鬼籍に入りました。いまごろ、天国で語り合っているのでしょうか。