本屋

五條瑛の新作『スパイは楽園に戯れる』の発売日は6月21日。しかし、複数の本屋をはしごしても見当たらず、足を運ぶには距離がある店に電話で問い合わせても入荷していないという返事で、なかなか手に入れることが出来ずにいました。

ようやく手に入れたのは7月6日。発売日から日数が経ったところで、あらためて手当たり次第に電話で問い合わせたところ、一軒だけ入荷しているという返事があり、取り置きをお願いして購入しました。

わたしは取り置きしてもらうのが好きではありません。というのも、出来るだけきれいな本を手にしたいので、カバー(特に背表紙の上など)が折れたり破れたりしていないか、汚れなどがないか事前に確認したいからです。

しかし、その書店でも一冊しか入荷してないとのことで、そこは今回は割り切りました。結果、とてもきれいな状態のもので、これは幸運でした。

同じ理由で、ネットショップを利用するのは最終手段にしています。基本的には梱包もしっかりしていて、過去にがっかりしたことはありませんが、それでも紙でできているという本の性質上、どのような状態のものが届くかは賭けです。

たった一冊の本を買うのにも、これだけ時間と労力を必要とします。一方で、掌の中のスマートフォンの画面をタッチするだけで、ほしい本が早ければ翌日には手元に届いてしまう。わたしのように神経質にならなければ、利便性という点で、町の本屋はネットショップに敵いません。

町の本屋の経営状態が厳しいというニュースを見聞きして、さもありなんと頷きました。

そのニュースのなかで引っかかったのが、「町の文化の担い手としての本屋」というフレーズです。

わたしが本を読むのは、単純に楽しいからであり、知らなかったことを知るのが嬉しいからです。それだけです。自分が文化的だなんて思ったことは一度もありません。

本屋が自らを「文化の担い手」と規定しては、本を読むのが習慣になっている人は黙っていても足を運びますが、そうではない人を新規客として取り込むことは不可能でしょう。わたしだって、「一緒に町の文化を守ろう。ともに文化の担い手として頑張ろう」などと呼びかけられたら、その店から足が遠のきます。

本も商品であり、本を読む人は消費者なのですから、“文化”を扱っていては経営状態が厳しいのも当然です。

本離れ、活字離れ? それは一度でも近づいたことのある人にだけ当てはまる言葉です。そもそも本を読まない人は近づいたことすらないのですから、離れることもありません。ただ遠くにいるだけ。

立花隆が言うように、人間は言葉によってのみ思考するなら、考えない人などいないのですから、本を読むことは根源的に心地好いもののはずです。

文化の担い手などと大上段に構えず、楽しさをアピールしていきましょう。定期的に読み聞かせ会などを催している書店も多いですが、それは来店を待ってのものです。そこは攻めましょう。同じ読み聞かせ会でも、自治会やボランティア活動をしている人たちと連携して、何かの集まりに本を持って出向いていくのはどうでしょう。本屋に足を運ぶ習慣のない人に本に触れてもらうきっかけになります。その人が新たなお客になってくれる可能性が生まれます。

そういう種まきこそ、文化的活動ではないでしょうか。