『サヨナラコウシエン』
天久聖一の『サヨナラコウシエン』を読みました。
物語は、おじいちゃんが孫のランドセルを買うところから始まります。そこで描写されるおじいちゃんは台詞もなく、その姿もモブキャラのように記号的です。そして、すぐに亡くなってしまいます。
そのおじいちゃんの持ち物だった野球のボールを求めて、主人公の男の子は不思議な冒険に出かけます。幼稚園児ですから、お下品満載、摩訶不思議。大人の目から見れば馬鹿げたことでも、子供の目の見る世界で子供は一生懸命です。そのエネルギー源は、おじいちゃん大好きという気持ちです。
冒険の末におじいちゃんに再会したとき、件の野球のボールのいわくが語られます。それがまた何ともくだらない。でも、それが愛おしい。くだらないこと、笑ってしまう失敗談。そういうもののない人生の何と貧しいこと。
そのとき、おじいちゃんは当初の特徴のない造形から脱して、個性ある一人の人間として描かれます。人に歴史あり。この世に生きる誰もが、“どこにでもいる誰か”などではないのです。
この物語は、主人公の男の子の世界です。つまり、子供なりに、おじいちゃんを一人の人間として認識したということです。これを成長と呼びます。
そして、現実の世界では母親の配慮もあって出来なかったことをすることになります。きちんとお別れをすることです。これは、おじいちゃんの願いでもあったはずです。愛する孫に残すのが未練であってはいけません。それは思い出でなければ。
おじいちゃんが孫に望む人生。その想いを込めて投げるボールを見事に打ち返す男の子。アリガトウとサヨナラの気持ちを込めて。
この場面を読んで、映画『フィールド・オブ・ドリームス』を思い出しました。あちらは再会と和解の物語。最後は父親と息子のキャッチボールで幕を閉じました。
託す者と受け継ぐ者。互いに、その相手がいることの幸せ。その手応えを胸に、主人公の男の子は真っ直ぐに生きていくことでしょう。
- 作者: 天久聖一
- 出版社/メーカー: リイド社
- 発売日: 2018/10/22
- メディア: コミック
- この商品を含むブログを見る