歴史の齟齬
わたしは世代論が好きではありません。それは、相手と一人の人間として五分に向き合いたいからです。しかし、あえて世代をキーワードに書いてみます。
ひとつ前の記事でも書いたように、船戸与一の『エドワルド・ファブレスの素描』はスペイン内戦を扱っています。これは1936年、日本では2.26事件が起きた年のことです。
その当時の出来事が語られるに際して、補注が付されています。52ページの短編に、その数21個。
わたしにとっては知っていて当然のこともありますが、そうではないこともあります。
最初は、それらを文中で説明していては作品としてのバランスが崩れてしまうので補注という形を取ったのだろうと思っていましたが、読み進めるうちに違うことを考えました。
それは、船戸与一たちの世代には知識として持っていて当然のことが、冒険小説を読む世代の読者には当然ではなくなっており、そのために補注が必要とされたのではないのだろうかということです。
歴史とは、この齟齬の上に成り立っているのかもしれません。そこに、歴史を自分の都合が良いように修正しようとする輩が跋扈する隙があります。それは怖いことです。